法相宗大本山 興福寺
奈良県奈良市登大路町にある法相宗の大本山の寺院。
藤原鎌足・藤原不比等ゆかりの寺院で藤原氏の氏寺。
本尊は中金堂の釈迦如来。
1998年「古都奈良の文化財」の一部として世界遺産に登録されている。
興福寺は、669年、鏡王女が、重い病を患った夫・藤原鎌足の病気平癒を願い、
釈迦三尊などの諸仏を安置するため造営した「山科寺」を起源としている。
壬申の乱(672年)後、飛鳥に移建され、
地名をとって厩坂寺(うまやさかでら)と称された。
710年、平城遷都の際、
鎌足の子・不比等により現在地に移転され、「興福寺」と改号された。
その後、天皇や皇后、藤原氏によって堂塔が建てられ、
奈良時代には四大寺、平安時代には七大寺の一つに数えられ、
特に摂関家・藤原北家との関係が深かったために手厚く保護された。
平安時代には春日社(藤原氏の氏神)の実権を持ち、
大和国の荘園のほとんどを領して事実上の国主となった。
その勢力の強大さは、比叡山延暦寺と共に「南都北嶺」と称された。
興福寺は創建以来、度々火災に見舞われ、その都度再建を繰り返してきた。
1046年12月24日の大火では、北円堂を残して全山が焼失している。
1180年、治承・寿永の乱時の平重衡による南都焼討による被害は甚大で、
東大寺と共に大半の伽藍が焼失した。
焼失直後、平氏政権に取り上げられていた荘園が興福寺側へ返却され、
朝廷と藤原氏、興福寺の3者で費用を分担して、復興された。
現在の興福寺の建物は、全てこの火災以後のものである。
現存する仏像をはじめとする寺宝類も、
この火災以後の鎌倉復興期に制作されたものが多い。
興福寺を拠点とした運慶らによる仏像も、この時期に数多く作られている。
鎌倉、室町時代においても、幕府は守護を置くことができず、
大和国は、実質的に興福寺の支配下にあり続けた。
1595年(安土桃山時代)の検地で、
春日社と興福寺を合わせて2万1000余石とされ、
その後の、徳川政権下でも寺領は保たれた。
1868年に出された神仏分離令は、全国に廃仏毀釈を引き起こし、
春日社と一体の信仰(神仏習合)が行われていた興福寺は大きな打撃をこうむった。
興福寺別当だった一乗院および大乗院の門主は早々と還俗し、
それぞれ水谷川家、松園家と名乗った(奈良華族)。
18か寺あった末寺とは本末関係を解消し、83か寺の子院、6つの坊は全て廃止され、
僧は全員自主的に還俗し、とりあえず「新神司」として春日社に仕えることとなった。
1869年に東大寺が興福寺の管理を行いたいと申し出たが、
元僧らはそれを断って、西大寺と唐招提寺に興福寺の管理を任せている。
寺領は1870年12月の上知令で没収されたが、境内のみ残された。
また、還俗していた元僧らは正式に春日社の神職となっている。
1871年、一乗院は奈良県庁とされ、大乗院や大半の子院は解体された。
中金堂は国に没収され、警察署や奈良県庁、郡役所に使用された後、
1883年に返還されている。
1880年2月14日、没収された興福寺旧境内は奈良公園になり、
境内も築地塀が取り払われ、樹木が植えられて奈良公園の一部となった。
一乗院跡は現在の奈良地方裁判所、大乗院跡は奈良ホテルとなっている。
中金堂
2018年10月再建。9代目。
創建は、藤原不比等。
藤原鎌足発願の釈迦三尊像を安置するための寺の中心的な堂として、
平城京遷都直後に造営が始められたと推定されている。
当時の奈良朝寺院の中でも第一級の規模を誇った。
6回の焼失、再建の後、1717年に再び焼失。
1819年「仮堂」として再建された。
この再建時、朱色に塗られていたため「赤堂」として親しまれていた。
しかし、あくまでも仮堂であったため、松材も瓦も安物が使われており、
老朽化がひどく、2000年に解体された。
仮堂に安置してあった仏像は、雨漏り被害から守るため、
1974年11月23日、中金堂北側に仮金堂(現・仮講堂)として薬師寺の旧金堂を移築。
本尊の釈迦如来坐像などが移された。
創建1300年となる2010年、中金堂再建工事が着工。
2017年、仮金堂内の諸仏を中金堂に移し、2018年10月に落慶した。
中心部の巨柱は国内で檜の大木が入手しにくく、
宮大工棟梁の提案でカメルーン産欅を取り寄せて使用したという。
堂内には、木造四天王立像(国宝)などが安置されている。
東金堂(国宝)
国宝。1415年再建。5代目。
様式は、唐招提寺金堂を参考にした天平様式。
本堂である中金堂の東にあるから、東金堂と呼ばれる。
726年、聖武天皇が、元正上皇(聖武天皇伯母)の病気平癒を祈願し、
薬師三尊像を安置する堂として創建。
創建当時は、浄瑠璃光世界を表すべく、
須弥壇に緑釉のタイルを敷いたと言われている。
5度の被災、再建を繰り返し、現在の建物は1415年再建されたもの。
平面規模は、創建時の堂に準じている。
堂内には、重要文化財の、銅像薬師如来坐像、銅像日光月光菩薩立像や、
国宝、木像十二神将立像、木像四天王像、木像維摩居士坐像、文殊菩薩像がある。
東金堂(9:00~17:00)
拝観料:300円(国宝館との共通券は900円)
五重塔(国宝)
1426年再建。6代目。本瓦葺の三間五重塔婆。
高さは50.1m。
現存するものでは、東寺五重塔に次いで高いものである。
730年。光明皇后の発願により建立。
初層の四方には、
薬師三尊像、釈迦三尊像、阿弥陀三尊像、弥勒三尊像を安置している。
南円堂(重文)
1789年再建。4代目。
屋根を一重、本瓦葺とする八角円堂で、正面に拝所が付属する。
藤原北家の藤原冬嗣が、
父・内麻呂の追善のために813年に創建。
創建時の本尊は、興福寺講堂に安置されていた不空羂索観音像。
この像は748年、その前年に没した藤原房前の追善のため、
夫人の牟漏女王、子息の藤原真楯らが造立したものであった。
常時閉ざされている堂の扉は、
10月17日の大般若経転読会という行事の日のみ開扉される。
国宝館
文化財の収蔵と展示を目的とする耐火式収蔵施設。
1959年、食堂及び細殿の跡地に建てられた。
鉄筋コンクリート構造であるが、
外観は創建時の寺院建築を模したものとなっている。
内部には、食堂の本尊であった巨大な千手観音立像(国宝)(高さ5.2m)が中央に安置され、
仏像を始めとする多くの寺宝が展示されている。
2010年3月、文化財に与える悪影響が少ないLED照明が採用され、
多くの仏像がガラスケースなしで見られるようになった。
その後、耐震改修工事をして、2018年1月にリニューアルオープンした。
国宝館(9:00~17:00)
拝観料:700円。(東金堂との共通券は900円)
せっかくだから、東金堂との共通券を購入。
すると、「パンフレット100円ですが、どうですか?」と言われ、
パンフレットまで買わされ、いや、買ってしまった…(^-^;
左から、入場券、無料パンフ、100円パンフ。
100円のパンフは、無料パンフに少し毛が生えたような…。
いや、寄付と考えよう…。
猿沢池から見た五重塔
かつての興福寺には、中金堂、東金堂、西金堂という3つの金堂があり、
それぞれに多くの仏像を安置していた。
寺の中心部には、南から北に、南大門、中門、中金堂、講堂が一直線に並び、
境内東側には、南から、五重塔、東金堂、食堂(じきどう)が、
境内西側には、南から、南円堂、西金堂、北円堂が建っていた。
この他、境内南西隅の一段低い土地に三重塔が、
境内南東部には大湯屋が建てられた。
これらの堂宇は、創建以来火災に度々見舞われ、
焼失と再建を繰り返してきた。
明治時代以降、興福寺の境内は奈良公園の一部と化し、
寺域を区切っていた塀や南大門もなくなり、
天平時代の整然とした伽藍配置を想像することは困難になっているという。
私達が見学した日は、2022年5月21日。
たくさんの人が、中金堂正面の舞台周辺に行列し始めたから、
何??って思ったら、薪御能を観る人達だった。
薪御能が上演されているなんて知らなかったよ~。
やっぱり事前の下調べは必要だね…(^-^;
*興福寺の説明は、公式ホームページ、パンフレット等を参考にしています。
https://www.kohfukuji.com/
奈良らしいしっとりした写真ですね。
無料パンフと有料パンフの差分、中に希少な写真が載ってたりするのかもしれませんね!
もしくはカメラマンか編纂されているのが高尚な方とか。
イベント事前調査って本当に大切ですよね。でも、私も旅行日に天気悪そうだったりすると、考えるのが嫌になって調べずに行き、反省などもよくあります……。
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yukitabitonさん、こんにちは(^^♪
希少な写真…、確かにそうかもしれないです。
仏像1つ1つの説明が載ってましたので、勉強にはなります(*^^)v
といっても、さらっとしか読んでないですが…(^-^;
下調べって重要ですよね~。
帰宅してから、そうだったのか~ってがっかりすることもよくあります(^^ゞ
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興福寺!流石に華麗な歴史なんですね。
度々の火災は寺院なのでロウソクを使う機会が多いだけに不始末なんでしょうか?
欅の巨柱は日本に使える檜も欅もなくてカメルーンにあるとは吃驚たまげました。
関西に居て何度も訪れているのに知らない事ばかりでした。有難うございました(*^_^*)
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wakasahs15thさん、こんにちは(^^♪
ロウソクと、あとは雷かなあ?と思います(^^)/
日本になくてカメルーン??って驚きですよね。
それだけカメルーンが自然豊かってことなんですかね~。
いつもwakasahs15thさんの記事で興福寺や猿沢池を見ていて、行きたいな~と思って行きました。
こちらこそ、ありがとうございます(*^^)v
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雷も!そうですよね。忘れていました(>_<)
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12月に行ったばかりなのですが、tabisurueiyoushiさんのこの記事を拝見して、
「ほぉー、へぇー」と今さらながらうなずくことばかりです笑
歴史を知らなくてもすごく広々としていて、奈良は探索しやすかったです♪
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coccocanさん、こんにちは(^^♪
12月に行かれたんですね!!
きっと楽しい旅だったでしょうね~(^.^)
京都に比べて奈良に行く機会は少なかったんですが、今回行ってみて、奈良もいいなあって改めて思いました(*^^)v
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南円堂がなんか見覚えがあるなと思ったら2010年に興福寺行ってたんですよ。
自分のブログの古い記事を見たら国宝館を見学し中金堂が再建中と書いてありました。
こんな建物だったんですね。
それにしても昔は火事が多かったのですね。
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NAOJIさん、こんにちは(^^♪
2010年に行かれていたんですね!!
中金堂、こんな建物だったようです。
新しくて綺麗でした(*^^)v
ロウソクや雷などなど、、、昔は火事が多くて大変だったでしょうね。
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