風見鶏の館(国指定重要文化財)
ドイツ人、ゴッドフリード・トーマス氏の旧宅として、1904年に建てられた。
尖塔上の風見鶏と、赤レンガの外壁は北野のシンボル。
20歳で横浜に来日したトーマスは、中国との貿易で財をなし、
日本で最初の映画を公開したり、日本最初のゴルフ場を開場したりした。
1902年、神戸に移り住んだ一家は、
1905年に完成した風見鶏の館に移り住む。
玄関
1階応接室
ダイニング
壁には小窓がある。
地下にあるキッチンで作られた食事がリフトで運ばれ、
この小窓から給仕されていたという。
地下のキッチン…。
「ダウントン・アビー」を想像してしまった…(^-^;
(ミュージカル「Me & My Girl」でもキッチンは地下だった!!)
部屋にはメイドの呼び鈴があったり、メイドの部屋もあったり。
(萌黄の館にもメイド部屋があった。)
リアルダウントンアビーだ~って思っちゃった…(^-^;
1階居間
2階子供部屋
1914年、一人娘のエリゼさんが、寄宿舎に入るためドイツへ一時帰国。
そして、第一次世界大戦が勃発。
ドイツ帝国は日本の敵国となり、一家は帰国できなくなった。
風見鶏の館は、大日本帝国に没収された。
ドイツへの帰国は、あくまで一時帰国であり、
ほとんどの財産を日本に残して出国した彼らのドイツでの生活は困窮した。
そして、トーマス一家の消息は分からなくなった。
1977年、NHK朝の連続テレビ小説「風見鶏」が放映され、
神戸に異人館ブームが起こり、全国から観光客が押し寄せた。
同年、エルゼ・カルポー婦人が、ドイツ・フランクフルトにて、
神戸市が「風見鶏の館」を買取り、一般公開を行うことを新聞記事で知り、
幼少の頃、自身がこの館で暮らしていたと、ドイツ海外放送の日本人記者に伝える。
これにより神戸市は、かつての住人がドイツにて生存していることを知る。
1978年1月、風見鶏の館が、国の重要文化財に指定される。
同年12月、一般公開開始。
婦人から寄贈された、当時使用していた家具の一部も展示されている。
神戸市は婦人を開館式に招待したが、夫君の看病のため、来日できなかった。
1979年4月、神戸市の招待で初来日(80歳)
1983年から85年の修復工事では、
彼女が保有していた館の写真や、証言がとても役に立ったという。
1988年までに合計5回の来日を果たしたエルゼ・カルポー婦人は、
1998年4月27日、99歳でその生涯を閉じた。
生前、「日本に戻りたい」とたびたび話していたというエルゼさん。
14歳まで住んでいた神戸は、生涯忘れられない場所だったという。
彼女の手記には「ドイツは私の祖国、日本は私の故郷」と記してあったという。
何度も来ていたはずなのに、今回初めてこのストーリーを知った。
今までは多分、人が多くて展示が見れなかったんだろうな…。
1階書斎
五角形の窓は、光が入りやすい設計になっている。
外から見ると、こんな感じ。
半地下のキッチンは外から確認できる。
久しぶりに来たけど、新しい発見も多く楽しかった。
誰もいなかったからゆっくり見られた、というのも良かったな(*^^)v
今回の関連記事(^^♪
→「神戸北野異人館~萌黄の館」
→「神戸北野異人館街」
戦争に翻弄させられたご家族。それでも日本を「故郷」と言ってくれるのは、嬉しく切ないですね。
絶対に行かなくては!!!と強く思いました。
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CoccoCanさん、こんにちは(^^♪
本当に戦争って嫌ですね。
でも、日本を「故郷」と言ってくれるエルゼさんに感謝です。
是非是非、訪れてみてください(^_-)-☆
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私も行ったことがあるんですが、エルゼさんの話は知らなかったです。
戦争のせいで自分の家に住めなくなるなんて悲しい話ですよね。
それでも日本に戻りたいなんて言ってくれるとは。。。
来年は神戸に行くかもしれないので行けたらまた立ち寄ってみたいと思います。
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NAOJIさん、こんにちは(^^♪
私も今回初めて知りました。
一時帰国のつもりが…って、ホント切ないです。
それでも帰りたいと思ってくれていたとは、嬉しいものです。
そうなんですね!!
ぜひぜひ立ち寄ってみたください(^_-)-☆
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素晴らしい邸宅ですね。折角、貿易で財をなされたのに戦争勃発の為に財産を没収とは酷い仕打ちです(≧▽≦)
なのにエルゼ・カルポーさんは「ドイツは私の祖国、日本は私の故郷」と言ってくれるなんて、うるっと来ました(*^_^*)
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wakasahs15thさん、こんにちは(^^♪
日本人もアメリカで全財産没収されて酷い目に合ったと思ってましたが、日本軍も撤収していたんですよね。やっぱり戦争は駄目ですね。
いつまでも変わらずに日本を好きでいてくれたエルゼさんに感謝です(*^^)v
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豪邸ですね(☆▽☆)
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Nene.Zさん、こんにちは(^^♪
ですよね!!
ほぼ貴族のような大邸宅です(*^^)v
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(‘-’*)オハヨ♪ございます。
豪邸にも厳しい歴史が刻まれているんですね。エルゼ・カルポーさんの言葉分かるような気がします。子供の頃に生活した場所っていつ迄も故郷ですからね。
何時か行けたら異人館街を歩いてみたくなりました。
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saganhamaさん、こんにちは(^^♪
なるほど、確かにそうですね!!
子供の頃に過ごした日本が、エルゼさんにとって素敵な場所であってよかったです。
いつまでも色あせない思い出なんでしょうね。
いつか機会があったらぜひ散策してみてください(^_-)-☆
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むむむ。こんな豪華な子供部屋で育つ子供って(@_@)
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slecfarmさん、こんにちは(^^♪
生まれながらのセレブですね~(*_*;
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こんばんは
素晴らしい館、
日本は私の故郷とは、戦争で辛い目に遭ったのに
風見鶏ドラマ有りましたね
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makoさん、こんにちは(^^♪
ホント辛い思いをしたのに、日本のことを好きでいてくれるエルゼさんに感謝です。
ドラマご存知だったんですね!!
きっとブームだったんでしょうね~(*^^)v
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昔は異人館で、衣装を着せてもらえるサービスがあったんですが、あれ今でもあるんですかねえ。。。?風見鶏の館で衣装着てすごく嬉しかった思い出があります!(^^)!
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chebandgenaさん、こんにちは(^^♪
コロナ禍でどうなったかは分からないですが、あったとしたらそろそろ復活ですかね~。
私は、桂由美ブライダルハウスでドレスを着た記憶があります。
10代の話です(^-^;
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