前日に宝塚歌劇団月組公演「桜嵐記」を観たので、
帰りに楠木正行(まさつら)のお墓参りに行くことにした。
→「宝塚歌劇団~月組大劇場公演「桜嵐記」「Dream Chanser」
途中、阪神高速からの大阪城🏯
宝塚大劇場から小楠木公御墓所までは約1時間。
駐車場はなく、近くのコインパーキングに停める。
小楠公御墓所(楠木正行の墓)は、大阪府四條畷市にある。
1348年、南北朝時代の四条畷の戦いで破れ戦死した、
正行とその一族らが合葬されている。
正行は1336年、湊川の戦で父正成が亡くなった後、11歳で楠氏の惣領となる。
約2年間にわたる幕府軍との天野合戦・河内合戦を戦い抜き、
河内東条に安寧をもたらすとともに、吉野山に入った後醍醐帝の警護を勤める。
成人後、河内近辺にて賊にさらわれようとする女人を助けた。
その女性は、吉野朝廷に仕える女官・弁内侍だった。
弁内侍は、日野俊基の娘。
才色ひときわ勝れた美貌の持ち主で、
高師直が横恋慕して拉致し、都へ連れ去ろうとしたのだった。
正行は、拉致された弁内侍を助け、吉野に送り届けた。
後村上天皇は正行に感動し、弁内侍を奥方にさせようとしたが、
すでに死を覚悟していた正行は、これを丁重に断った。
正平3年正月5日。
四條畷の戦いは、早朝よりはじまり、夕刻にまで及んだ。
敵将高師直の軍勢約5万、味方は5千。
一気に本陣に向かい、師直の首を斬ったが影武者の首だった。
正行は、それを七度空に投げ上げ、残念がった。
そして、弟正時と差し違えて討死にする。
正行23才、正時21才だった。
正行が四條畷の合戦で討死したことを知った弁内侍は、深い悲しみに沈む。
正行への追慕の情を絶ちきれず、如意輪寺で黒髪を切った。
尼となって吉野山を下り、山口村龍門の西蓮華台院(現西蓮寺)に入り、
寂滅するまで正行の菩堤を弔い、正行への貞節を護ったと云われている。
正行は、「小楠公」として、今も多くの人に親しまれている。
形勢不利と分かっていながら、父正成の遺志を継ぎ、南朝へ忠義をつくしたこと、
また、元は敵であっても戦の後は恩情をかける正義の人であったためといわれる。
正行の死後、約80年経ってここに小さな石碑が建てられ、
両側に2本の若い楠が植えられた。
長い年月が経ち2本の楠は1本になり、
石碑は木の中に入り込んでしまったとされている。
幹の周りは12m以上に及ぶ。
現在、樹齢550年を越える大木となり、大阪府の天然記念物に指定されている。
「贈従三位楠正行朝臣之墓」と記された碑。
1878年に建てられ、銘は大久保利通の自筆によるもの。
明治政府により、南朝が正統とされたことで正成が大楠公として神格化され、
父同様に南朝のために戦った正行も、小楠公と称されるようになり、
楠塚は「小楠公御墓所」と呼ばれるようになった。
石碑や楠木が祀ってある中には入れないが、周りを一周できる。
小楠公偲ぶ会などのお知らせなどと一緒に宝塚のポスターが!(゚д゚)!
今回の「桜嵐記」は偲ぶ会のメンバーも楽しめると思う(きっと!!)
そして、宝塚を観た人達も帰りにお墓参りしてるんだろうな~と思った。
街中にひっそりとある「小楠公御墓所」
今回は時間がなくて無理だったけど、
弁内侍ゆかりの寺「如意輪寺」にも行ってみたいと思う。
できれば吉野桜が綺麗なころに(*^^)v
昔の人は立派ですね。僅か5千で敵軍勢5万に死を覚悟のうえで立ち向かって!(^^)!今の政治家に、この気迫を見習って欲しいです。
弁内侍も負けず劣らず立派です。尼になって正行への貞節を護るとは👏宝塚の、この場面でtabisurueiyoushi さんは、きっと号泣だと?私も話を聞いてうるっときました(^^)/
大楠も凄いです。樹齢550年ですか。近いので一度お参りに行き大樹からパワーを貰って来ます(*^_^*)
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wakasahs15thさん、こんにちは(^^♪
ホント見習ってほしいものですね。
正行の生き様や死を覚悟での出陣、弁の内侍との悲恋、美しい衣装や舞台、そしてトップスター珠城の退団公演であったことも相乗効果でした(´;ω;`)ウゥゥ
ぜひぜひ、正行の菩提を弔ってください!!
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号泣の原因は+美しい衣装や舞台、そしてトップスター珠城の退団公演があったんですね~。納得です(*^_^*)
手は空いたら行って来ます!(^^)!
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一番はストーリーですよ~(*^^)v
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この木を観せて頂いて、源氏物語「桐壺」にも恋する2人の例えとして、木がてできましたが、、、(あー、忘れちゃった)それと重なりました。
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mame58さん、こんにちは(^^♪
すごい木ですよね!!
好きなものがあると、いろいろ重なることがありますよね(*^^)v
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