第2次世界大戦中のリトアニアで、
ユダヤ人に対し、ビザを発給し続けた外交官・杉原千畝。
彼の記念館が、彼の生まれた岐阜県八百津町にある。
2000年7月30日に開館した。
杉原千畝記念館へは、下呂温泉の帰りに寄ってみた。
→「下呂温泉~水明館2021.4①」
杉原千畝記念館
杉原千畝は、1900年1月1日岐阜県八百津町に生まれる。
英語教師を目指した千畝は、公費で勉強できる外交官留学生試験に合格。
ロシア語研究生となる。
ハルピンでその能力を見込まれた千畝は、
ヒトラーによるナチス独裁が始まったころ、リトアニア領事館に勤める。
ロシア語が得意だった千畝は、ソ連からの諜報活動が命じられた。
1940年、ナチスから逃れてきたユダヤ人達が日本領事館へ押しかけた。
「彼らにビザを発給してもいいですか?」
千畝が日本の外務省にあてた電報の答えは、
「正規の手続きができていないものに、ビザを出してはいけない。」
ビザを発給し、ユダヤ人を救うべきか、
命令に従って、外交官として輝かしい道を歩むべきか…。
彼が出した答えは、その後の彼の人生を不遇のものへと追い込んだ。
1947年、独断でビザを出した責任を問われ、外務省を解雇された。
彼の晩年はとても不遇だった。
入場券はパスポート。 開くとこんな感じ
映画「シンドラーのリスト」を見た学生時代、
すごい人がいるんだな~と感動した。
その後何年も経ってから、日本のシンドラーと言われている人がいることを知った。
その人が日本の外交官・杉原千畝。
リトアニア領事官だった彼は、
ナチスドイツに迫害を受ける6000人以上のユダヤ人に対し、
日本経由を認めるビザ、通称「命のビザ」を発給した。
リトアニア領事館が閉鎖されると、彼は滞在するホテルでビザを書いた。
そして列車が出発する間際まで千畝はビザを書き続けた。
列車が出発した時、ビザをもらえなかった人達の悲鳴が忘れられないと語っている。
ベルリンで次の任務を待ち、1940年にプラハ領事館に赴任。
1941年3月、ソ連国境に近いケーニブルク総領事が開設され、
千畝はここからソ連の情報を日本へ送る。
その後、千畝はルーマニア、ブカレスト公使館に移り、終戦となる。
千畝一家は約2年間、ブカレスト郊外の収容所生活を送り、帰国。
帰国後、外務省に呼び出された千畝は、
新しいポストがないことを理由に、外務省を解雇された。
戦後、助けられたユダヤ人たちは、杉原千畝にお礼が言いたいと外務省を訪れるが、
「そんな人はいない」と門前払いをくらう。
「ちうね」という発音がユダヤ人たちには難しく、
杉原千畝は自身を「センポ スギハラ」と名乗っていた。
「センポ スギハラという外交官に会いたい。」というユダヤ人たちに、
「そんな人はいない。」と外務省は答えたという。
1969年12月、千畝のビザで助けられたイスラエルの宗教大臣、ゾラフ・バルハフティクとエルサレムで29年ぶりに再会。
ゾラフはこのとき初めて、失職覚悟での千畝の独断によるビザ発給を知り驚愕したという。
1985年1月18日、イスラエル政府より、多くのユダヤ人の命を救出した功績で日本人では初で唯一の「諸国民の中の正義の人」として「ヤド・バシェム賞」を受賞。
杉原千畝は、1986年7月31日、満86歳で死去。
日本政府による公式の名誉回復が行われたのは、2000年10月10日だった。
JR名古屋駅の飛騨高山行きのホームに、
やたらと白人のヨーロッパの人が多いな~と思い始めたのは十数年前。
飛騨高山へ行くのかな?とは思っていたが、
「杉原千畝記念館」に行ってるのか?!と思ったのは10年くらい前からだった。
私がもし、彼の立場だったら…。
命令に背いて、ビザを発給することができただろうか…。
「大したことをしたわけではない。当然のことをしただけです。」
「私はたまたまそのポジションにいただけ。他の人でも同じことをしたはず。」
これは生前、彼が残した言葉である。
彼の精神は、ハルピン学院で学んだ言葉が影響しているという。
「人のお世話になってはいけません。」
「人のお世話をしなさい。」
「見返りを求めてはいけません。」
この言葉があったから、彼は人道博愛第一に生きたのだろう。
そして、彼の他にも正義の外交官の存在を知った。
ヤン・ズバルテンディグ(リトアニア、オランダ領事代理)
ユダヤ避難民に多くの準ビザを発給。
何鳳山(ウィーン駐在中国総領事)
ナチスドイツによるオーストリア併合後、
同国から逃れようとするユダヤ人に、独断で1900通のビザを発給。
アリスティーデス・デ・ソウサ・メンデス(仏ボルドー駐在、ポルトガル総領事)
ドイツがベルギーとオランダに侵攻すると、ポルトガル政府はユダヤ人の入国を禁止。
3万人の難民のうち、1万人のユダヤ人にビザを発給。
その他、多くのユダヤ人を、スペインの検問所を通過させた。
チャールズ・カール・ルッツ(ブタペスト駐在スイス領事)
ユダヤ人の為に保護状を考案。
約数千人のユダヤ人を救った。
セラハティン・ウルクーメン(ロードス島駐在トルコ領事)
ロードス島にいた1700人のユダヤ人がアウシュヴィッツへ送られた時、
42人のトルコ国籍のユダヤ人を救った。
千畝をはじめ、彼らによって多くのユダヤ人は救われた。
しかし、ヨーロッパにいた約600万人のユダヤ人のうち、
脱出できたのは約200万人だったといわれている。
千畝のビザで脱出し、敦賀湾に到着したユダヤ人たちは、
神戸港からアメリカ、カナダ、オーストラリアなどへ移住した。
私がメルボルンにいた時のホストファミリーはユダヤ人だった。
グランマはロシア出身、ファザーはポーランド出身、マザーはハンガリー出身だった。
グランマは、
「私達はみんな出身地がバラバラ。そして今はオーストラリアに住んでいる。
帰りたいと思うこともあるが、ここが一番いい。」そう言っていた。
そして「日本人はずっと日本に住んでるよね。いいね。」と…。
グランマは3年前、98歳で他界した。
ホストファミリーとは20年ほど会ってないが、今でもメールのやり取りをしている。
グランマの訃報は、マザーが教えてくれた。
日本人は平和と水はタダだと思っている、と揶揄されることがある。
「平和がタダ」と思える国は幸せではないだろうか。
日本だけでなく、世界中の人々が「平和はタダ」と思えるようになってほしいと思う。
シンボルモニュメント
パイプオルガンをイメージし、160本のパイプは、世界各国を現している。
「世界平和」をテーマに、「平和を奏でるモニュメント」として、
世界に平和の光と音楽を発信している。
杉原千畝さんの情報は、杉原千畝記念館のホームページを参考にしています。
http://www.sugihara-museum.jp/
杉原千畝記念館
開館時間:9:30~17:00
休館日:月曜日、年末年始
入館料:300円
杉原千畝さんの事例は、過去にも何度か見たり読んだりしてきましたが、なかなか真似出来ることではないと思います。
TVでも当時助かった方の子孫が大勢出ている場面を見たことがありますが、玄孫まで含めると相当な繁栄で、ひたすら凄いなと思ったものでした。
ドイツと日本政府の両方に逆らうということは日本の外交官であっても、死と隣り合わせに近いことだったろうと思うと、自ずと頭が下がりますね。
特に今回おお!と思ったのはその他の方々の情報でした。千畝さんの言う通り、他にも同じことをした人がいたと知識として知ってはいても実際の名前や経歴を知ったのは今回が初めてです。貴重な情報ありがとうございました。
いいねいいね: 1人
KYOさん、こんにちは(^^♪
ホントにすごい方だなあと思いますよね。
彼がいなかったら救われなかった命の数を思うと…。
ユダヤの方々もそうですが、杉原千畝さんも命の危険があったわけですからね。
それでも人道第一主義に生きた彼は素晴らしいと思いました。
私も彼の他にもこんなにたくさんの人が人道支援していたことを初めて知りました。
記念館に行ってよかったなあと思いました。
いいねいいね: 1人
同じ岐阜県出身者としては誇らしいです。戦争という究極の非人道の状況下に明らかな命令違反をしてまで人道を貫くというのは狂気の沙汰だと思います。私などはただただ驚嘆するのみです。自分には到底できっこない行動です。
いいねいいね: 1人
freethanbirdさん、こんにちは(^^♪
岐阜県出身だったんですね!
同じ県にこのような出身者がいるのは誇らしいですね(^^)/
今の時代であったとしても、杉原千畝さんのような行動はなかなか取れないと思います。
杉原千畝さんは誰でもやったとおっしゃいましたが、自分がその立場だったら果たして同じ行動をとれたかどうかは分からないものです。
いいねいいね
杉原千畝さん 立派な方でしたね。ロシア語の国費研究生でしたか。皆さんは敦賀に入港された関係か敦賀市にも杉原千畝記念館がありますよ。
終戦後に帰国されたのにポストを理由に解雇した外務省のやり方は酷いです( ^)o(^ )名誉回復も亡くなられた後とは悲しいです(*^_^*)
いいねいいね: 1人
wakasahs15thさん、こんにちは(^^♪
はい、ロシア語の国費留学生だったそうです。
なんの見返りも求めず行動した彼の行為は、ただただ尊敬するばかりです。
敦賀市にも記念館があるんですか!!
行ってみたいです!!
実は…、敦賀港に入港して…という事実を知った時、wakasahs15thさんのとこだな~って思ってたんです(^^)/
命令に背いたとはいえ、外務省の仕打ちはひどすぎますよね。
当時は戦時中だったので、そういう命令しかできなかったとしても、収容所生活を送り苦労して帰国した彼に、なんとも非情過ぎると思いました。
存命中に名誉回復されなかったことが悔やまれます。。。
いいねいいね: 1人
私は小浜市なので敦賀とは50kmほど離れていますが一応,若狭なんです。
杉原千畝さんは収容所生活をされて帰国だったのですか。それは辛かったでしょうね。それなら尚、ご存命中に名誉回復して欲しかったですね(*^_^*)
いいねいいね: 1人
50㎞も離れていましたか!!
まあ、でも、若狭ですね(^^)/
彼は家族と共に、ブカレストで収容所生活を送っていたそうです。
やっとの思いで帰国したら…ですからね。
仰る通り、せめて存命中に名誉回復して欲しかったです。
いいねいいね: 1人
ご家族と一緒の収容所生活でしたか。大変だったでしょうね。ご帰国されてほっと出来なかったのは辛かったでしょうね(^^)/
いいねいいね: 1人
5年前か大会で岐阜に行きました。
その時は長良川鉄道に乗って郡上八幡に行ってみたいと思っていましたが、そこまで時間が無く…。
次の機会には下呂温泉と杉原千畝記念館に行ってみたいです。
あの時代、ユダヤ人を救った方、他にも何人もいるんですね。
この間BS世界のドキュメンタリーでニコラス・ウィンストンというユダヤ人の子供たちをイギリスに渡航させ養父母を見つけるなどして救った人の番組が放送されていました。
杉原さんの名誉回復が生前に行われれば良かったのにね…。
いいねいいね: 1人
NAOJIさん、こんにちは(^^♪
国内のいろんな大会に参加されているんですね!!
郡上八幡は子供の頃に行ったことがあります。
お盆の徹夜踊りの時期でしたが、子供でしたので、徹夜踊りはしていません(^-^;
記念館へ行って、ユダヤの方々を救った人が他にもたくさんいたことに驚きました。
ニコラス・ウィンストンさん、調べました。
映画があるんですね。
今度見てみようと思います。
ホント、せめて生前に名誉回復が行われればよかったですよね…。
いいねいいね
言い過ぎかもしれませんが、日本の国の体制って、戦前も戦後も根っこの部分は「保身」で変わっていないのかと感じますが、いつの時代でもこういう方はいらっしゃるのですね。どこの国にも。そして「国のメンツ」で名誉を回復しない。。。
それでも、「水と平和はただ」素晴らしいことで、これからも守って欲しいです。
正直、GDPだとかG7だとか世界的な評価よりも、「水と平和」です。
いつも素敵な記事をありがとうございます。
いいねいいね: 1人
CoccoCanさん、こんにちは(^^♪
ホント、仰る通り、いつの時代にも素晴らしい方はいるんですよね。
報われないこともあるけれど、こういった方々が活躍できる国であって欲しい。。。
「水と平和をタダだと思っている」と言われ、日本人は駄目なんだって思ってたんです。
でも、最近、それっていいことじゃないのかな?って思って。
平和は、かけがえのない財産ですからね。
こちらこそ、いつも読んでいただきありがとうございます(^^)/
いいねいいね: 1人
改めてじっくりと足跡をたどらせていただき、思いを新たにしました!(^^)!
いいねいいね: 1人
slecfarmさん、こんにちは(^^♪
ありがとうございます!!
私もテレビなど見たりしてはいましたが、記念館に行って、改めて足跡をたどることができました(^^)/
いいねいいね
よかったです。
杉原千畝さんの映画を思い出しました。
いいねいいね: 1人
mame58さん、こんにちは(^^♪
ありがとうございます!!
唐沢寿明さんの作品ですか?
今度見てみます(^^)/
いいねいいね: 1人
そうです。
わたしは、好きな作品です。
いいねいいね: 1人
こんばんは
この方の事はTVドキュメンタリーのようなのを見て知りましたね
>失職覚悟での千畝の独断によるビザ発給
このお蔭でどれだけの人々が助かったことか
彼が遺した言葉も素晴らしいですね
いいねいいね: 1人
makoさん、こんにちは(^^♪
私も知ったのはTVのドキュメンタリーか何かです。
彼が起こした行動も、残した言葉も、本当に素晴らしいと思います。
彼がいたからこそ助かった人達がたくさんいるわけですからね。
いいねいいね
失職していたんですね。ビザと言っても日本経由を認めるビザだったから大きな問題にならなかったのかも。
いいねいいね: 1人
Pro Foodie Orlandoさん、こんにちは(^^♪
正しいことをしたにもかかわらず命令違反として処分されるというのは、納得いかないものですね…”(-“”-)”
いいねいいね: 1人
人道的には正しいからと言って、命令違反が許されるわけではないということなんですね。
いいねいいね: 1人
それが組織ですね。。。(+_+)
いいねいいね: 1人
私も数年前に日本に里帰りした時にここへ行きました。次回はカナダの家族も連れて行きたいです。彼に関する英語の本と日本語の本と買って帰りました。彼のビザ発給により、カナダに移住された人達もいると知りました。戦時下での彼の勇敢な、そして見返りを求めなかった行動に、ただただ尊敬の念です。もっと世界に知られるべき人物だと思います。
いいねいいね: 1人
misteriosa_lunaさん、こんにちは(^^♪
行かれたことおありだったんですね!!
彼によって救われた人々が、現在、世界中で幸せに暮らしていることが唯一の救いです。
彼は誰でもやったと言いますが、やはりそう簡単にできる行動ではないと思います。
ホント、世界中の人に知って欲しいものですね。
いいねいいね: 1人