ツェツィーリエンホーフ宮殿( Schloss Cecilienhof)
ポツダム会談が開かれた場所として有名な宮殿。
ドイツ、ポツダムにある。
1917年、当時皇太子ヴィルヘルム・フォン・プロイセンのために建設された。
1990年、宮殿の建物および庭園は「ポツダムとベルリンの宮殿群と公園群」の1つとしてユネスコの世界遺産(文化遺産)に登録された。
私がここを訪れたのは18年前の2001年9月。
ベルリンから電車で30分、バス20分を乗り継いで行った。
バスは1日に数本しかなく、バス停で1時間以上待った…”(-“”-)”。
電車は途中、突然止まり、アナウンスが入った。
乗っていた乗客はみな降りてしまったが、ドイツ語が分からず、なんだろう??と思っていると、私達が残っていることに気づいたおばちゃんが戻ってきた。
「この電車はもう動かないから乗り換えないと(^_-)-☆」と教えてくれた。
ドイツ人はみんな親切だった。
道で地図を見て困っていると、いつも誰かが助けてくれた。
顔は怖かったりするけど…(^^;
そんな大変な?思いで行った、ツェツィリエンホーフ宮殿。
ほとんど人はいなかった。
確か、日本人の学生と思われる男性2人、欧米人男性が2人。
私がそこにいた1~2時間程度で会った人は、それぐらいだった。
宮殿の中には、会議が行われた場所に、チャーチル英首相、トルーマン米大統領、スターリンソ連首相の蝋人形が、実際に座った場所に置かれていた。
3首脳の後ろにはそれぞれ扉があり、それぞれがそこから出入りしたのだという。
しかし、ツェツェリンホーフ宮殿の写真は2枚しかない…。
しかも、当時はデジカメではなかったので、フィルム写真。
この会議室も撮影した記憶があったが、それは記憶だけだった。
1945年7月26日、
日本政府に対して日本軍の無条件降伏などを求めるポツダム宣言が表明された。
この後、すぐ降服していたら、原爆は落とされなかったのだろうか…。
それより前に、戦争をやめていれば、どうなっていただろうか…。
歴史に「もし」はない。
そして、「過去を変える」こともできない。
ただ、未来に向けて、
「どんなことがあっても、戦争をしてはならない。」
私は、そう思う。
ドイツ・ポツダムのツェツィリエンホーフ宮殿でポツダム宣言が出されたんですか。敗戦国に勝戦国の首脳が集まるのも不思議な感ありです。戦争はしてはならないですよね。私の二人の恩師も戦争体験者で、その時の辛い体験からして絶対に戦争はダメと口を酸っぱくして言われていました。今でも強く印象に残っています(^_-)-☆
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wakasahs15th、こんにちは(^^♪
そうなんですよ。ベルリンに行った時、日帰りで行ける感じだったんで行ってみました(^^)/
敗戦国に…たしかにそうですね。すでに占領されてたからですかね?ちなみに宮殿の前の赤い星はソ連をイメージしているそうです。
最近、BSで戦艦大和や信濃、ガダルカナルの特集を見ました。戦争は勝っても負けても悲しみが残ります。経験者も高齢になり生き証人が少なり、風化されていくのは、怖いことだなと思いました。
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確かに戦争は勝っても負けても悲惨さが残りますね。恩師のお二人ともお亡くなりになって、お一人は自費出版で記録として残され3部共下さいました。何回も読んで噛みしめています。
私もドイツで迷った際にドイツ人はとっても親切でした。旅先での親切は何時までも忘れないです(^_-)-☆
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自費出版!それはすごいですね(^^)/
旅先での親切は、いい思い出として残りますね(*^^)v
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本当に歴史に「もし」はないですね。
それにしても、重厚な建物です。
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slecfarmさん、こんにちは(^^♪
よく「もしこうだったら…」って言っちゃいますけど、絶対にないですからね…。
宮殿は、歴史的な建物ではあるけれど、見た時は、こんなかわいい建物なの?、って思っちゃいました(^^ゞ
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先ほどテレビで特攻隊で生き残った兄弟のテレビを見ました。弟の方は大学教授になり、その後本も多数出版し、講演しています(90歳を過ぎてます)。戦争なんてしてはいけないと。
私の父も戦争に行った人です。かなり年になった時、ぽつりと戦争なんてやってはいけないと言いました。若い頃は戦ったことはお国のため!と豪語していましたが・・・洗脳されてたんですよね。年取って洗脳が解かれたのかも・・・
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astro26さん、こんにちは(^^♪
戦争経験者が高齢になり、戦争を知らない世代ばかりになった時が怖いですね…。astro26さんが見られたテレビとか、そういう特集番組を学校の道徳の授業とかで見せればいいと思うのですが、戦争賛美になるからダメと言われるんでしょうね…。賛美ではなく、「だから戦争を起こしてはいけない」という教訓になると思うんですけどね…。
お父様、そうだったんですね。きっと大変な思いをされたんでしょうね。洗脳ではなく、そういう時代でした。教育って難しいですね‥。
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中学時代の恩師と連絡を取り合う中で、状況は異なりますが同じように思う事がありました。一つ正解があれば他はダメという排他的な考えが根底にある学生が多く、多様性に乏しいといった話でした。先生は元々日本は多様性に富んだ国だったのに、と江戸時代に遡って話されていて、「そこまで遡られても戻しようないもんなぁ」と困惑しました。変えられない過去に嘆くのではなく、常に現時点において今後どうして行くのが良いのかをその都度軌道修正しながらやっていければ良いんじゃないかと思いました。
ポツダム宣言という言葉と年号と出来事は教科書に書いてある文章で教わっていても、建物を見た事はありませんでした。よく足を運ばれましたね。
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Pro Foodie Orlandoさん、こんにちは(^^♪
過去に学ぶことは重要なことですが、嘆いてばかりでは進めないですからねぇ…。でも、確かに江戸時代は活気があって、人々が生き生きしていたような気がします(^^;
「今でしょ!」で有名な塾講師、林先生が「過去の遺跡を保護するよりも、シンガポールのように新しいものを作ったらいい。」と言っていました。さすがにそれは飛躍しすぎでしょ…と思ったりもしました…(^^ゞ
ベルリンへ行った時、サンスーシー宮殿に行きたくて、それがポツダムだったので、「あ、ポツダム宣言のとこも行っとこう!」って感じで行きました(*^^)v
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ついでに寄られたんですね。ピンポイントでわざわざ行かれるなんて勉強熱心と思っていました。シンガポールはマレーシアとの水問題があったから海水の淡水化に力を入れるという、歴史に学んで新たな事業で改善に取り組んでいますね。試行錯誤が続いているようですが、新しいものを取り入れる積極性には勢いがありますね。
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ついでというか、まあ、サンスーシー宮殿とは別の日には行きましたが、決して勉強熱心ではありません(^^;
シンガポール、本当にそうですね。シンガポールの初代大統領は、歴史を学ぶくらいなら英語と数学を学べという考えで、今日のシンガポールがあるようです。極端といえば、極端かもしれないですが、一理ありますよね(*^^)v
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折しも今日は終戦記念日
終戦から平成・令和と戦争の記憶が薄れていく中で
終戦特集などを観る中で、戦争は絶対あってはならないと思いますね
貴重な建物を観てきたのですね
私達もドイツを少しだけ観光したかな
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makoさん、こんにちは(^^♪
若い頃はあまり深く考えてなかったですが、今は強くそう思います。
ポツダム、ベルリンに行った時に、日帰りで行けそうだったので、行ってみました。
ドイツにも行かれてたんですね。makoさんもあちこちを旅してらっしゃいますね(*^^)v
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ツェツィリエンホーフ、私も行きました。
行きはバスを探せなくて(^^ゞ、仕方なくタクりましたが、帰りは運良くすぐ来たので乗りました。
ベルリンではなくポツダムで会談が行われたのは、ベルリンが焼け野原で要人が来られる状態ではなかったからとの説明に、衝撃を受けました。
ドイツは二回敗戦国になっているからか、戦争に関しての遺跡みたいなものは、他のヨーロッパ諸国と多少異なる感じを受けるな、と思っています。
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tiro1222さん、こんにちは(^^♪
バスは本数が少ないですから、タクシーは正解でしたね(^^)/
カイザーヴィルヘルム教会とかがそうですよね。
私は、西ベルリンから東ベルリンに入ったら、時が止まったような…、「あ、東側なんだ…。」という印象を受けました。ただそれは18年前なので、今は変わってるかもしれないです(*^^)v
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ベルリンは、今でも、昔東側だったか西側だったかは、何となくわかりますよ。
同じようになるには、やはり長い年月が必要なのかもしれません。
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